昭和45年4月27日 朝の御理解
御理解第六十五節 「日柄方位は見るに及ばず。普請作事は使いがっての良い日が良い 家相じゃ。良い日柄というが、それに雲のないほんぞらぬくい自 分に都合の良い日が良い日柄じゃ。いかに暦を見て、天赦日じゃ というても雨風が強ければ、今日は不祥の天気じゃと言うではな いか。日のお照らしなさる日に良い悪いはないと思え。」
この六十五節をね、頂いて、いよいよお道の信心の素晴らしい、同時に高度な信心であるという事をいよいよ感じずにはおられませんですね。いわゆる真の信心とはこういう信心を言うのであろうと。正しい信心とはこういう信心を言うのであろうと思われます。
教祖様のご自身の信心もやはりこのような事に一通りは難儀をなさったのですね。日柄方位を見ておいでられた。ご普請をなさるのにはやはりそれぞれ相当のいわゆる、面倒な方法をとられましてね、そういう、まあ、一遍に言ってしまえば迷信でしょうけれども、その迷信にもやはりこだわられた。ご自身、ご普請をなさるのに、良い日柄が良い悪いと言うことを申されまして、その方を見てもらうほうの色々研究してもらいなさって、自分の母屋を広げられなさるのに至って、ね、一応その家には住んでいないということの為に、わざわざ小屋に移られて、そして、それを一応空家の状態にして、普請にかかっておられたりといったようなこともあります。そういう例えば、これは今も昔も同じですよね。 信心がなからなければ日柄方位を申したり、そしてそこに難儀な事が起こって参りますと、日柄方位といったようなことを無視しておったからこういう事になったであろうかという風にまあ人間は弱いものです。
そういう風に感じるのですね。四十二歳の御大患の時もそうであった。ね。新屋の次郎さんという方に神がかりがあった。「この家の主人、豹琵金神に無礼がある」と言うておられます。ね。だからこういう難儀な病気にかかったのだと。ところがそのお父様であるところの、お父様の奥様であられるところの古川八百蔵という方がです、その、次郎さんに神かかりになって、神様がそう仰る。それに対して反問をしておられますね。「他所の人ならばいざしらず。この家主人に限ってはそういうことは絶対にありません」というておられます。色々なちゃんと法をして建てたとこういわれる。(?)と。ね。
ですからね、そういうところがやはり日柄方位も見て建てたと。することだけはしてからちゃんとしたんだと言っておられるところから、いかに当時のやはり、日柄方位といったような家相が良いの悪いのといったりそういう事に拘わられたかということが分かります。そしてそこには厳然としてですね、そういう、まあいうならそれを犯されたために分かり易くいうなら、罰が当てられなさったということになるわけですね。けれども、教祖様の生き方というのが、まあ実意丁寧を極めておった。金神様に御無礼があっちゃならん、家相が悪いなら、まあ良いならそこに方法をしてからちゃんと見てもらうところは見てもろうてからお詫びするところはお詫びをしてから建てたとこういう。
それを目の当たりにその、姑親であるところの八百蔵さんは見ておられるわけなんです。知っておられるわけなんです。だから他所の家ならばいざ知らずですけれども、この屋の主人に限ってはそういう事はないと言われておる。ね。そしたら今度はその時に石槌の神というのが次郎さんにかかられたんですね。かかって折られたということです。そして、その石槌の神様が言われることはまた、ついその言葉をついて仰られておることはです、ね、「そんならこの家の主人が死んでも大儀ないか」と言って言われた。ね。
「お前がそういう事を言うがそんな事を言うてこの家の主人が死んでもよいか」と。それをもう、水も通らないほどの大病であられる教祖様がね、それをお聞きになって布団の中から、思わず、しらず、いわば這い出てみえて、神様の前にひれ伏してお詫びをしておられます。「ご無礼がないというてもね、小さい家を大きく四方に広げたことであるから、どの方角にお粗末ご無礼があったか分かりませんと。ただ今氏子の申しましたことはただ今、家内の父親が申しました事は、ね、御無礼な言葉であってです、平にお許しを頂きますように」と、言っておられる。
途端に物の出らなかった、そういう祈りをされると同時に物がでられるようになり「その石槌の神様はこの家の主は行き届いておる」と。「五月一日は現をやろうぞ」という風にまた改まって神様にでておられます。ですから、教祖の神様のご信心の過程というものをずっと見てみますとですね、そういうことがいくらも出て来る。ね。そして教祖様の信心の、信心の度合と言うものが段々段々高められてきた。開けてきた。まあそれを、物語るのが如実に物語るのが御神格が変わって折られると言うことですね。
「下葉の氏子」と及びになられ、または「金子大明神」とか、「金光大明神」とか、「金光大権現」とか、「生神金光大神」というようにです、ご信心がお進みになられるに従って、御神格がずっと変わりにおいでられた。そうしてですね、そうして、このご理解がでた。「生神金光大神、天地金乃神と同根」と言われるほどしのところにです、信心が高められなさったから初めてこういう事が言えれるようになったわけです。ね。過去、四十二歳の御大患の時にはやはり、金神様に御無礼があったとお詫びになっておられるし、また、神様も御無礼があったと言うておられますから、全然無いという事じゃないことが分かりますよね。
ですから、私ともがんなら、教祖の神様がいわゆる天地金乃神と同根とまで言われるほどしの最高の御神格をお受けになられた時にです、いわゆる人間の正しい考え正しいものの見方という事が出来られるようになった。
ね。「日柄もなければ方位もない。普請をするならば使いがってのよいのが良いである」とまあ、言い出された。ただ当時のあらゆる雑種的な信心ですたいね、第一、方位さんですね。山伏の修行をされる方達。もうそれだけで、飯を食っているという人達がある。ね。日柄が良いの日柄が悪いのといったり、また、法益をしてやったり、お払いをしてやってです、それが、いわばその、山伏達の生活の種になっておるのですから、そういうことを教祖が言い出されたから、大変な迫害を超えてきたわけですね。
または、易学を学ばれる人達の上にも大変な脅威をきたしてきたわけですね。これはもういうなら、学問的に言うてですたい、ね、やはり、日柄もあれば方位もあると、いわゆる易学という学問です。そういう人達の上にもです、大変ないわゆる迷惑になってきたわけです。それが生活の元になるのですからね。当時、百十年も前に皆がそれを信じておることをいわゆる迷信打破、だから金光教の信心は迷信打破の信心だと言われるわけなんですけれども、あれは皆さん、何とかという方ですね、易学の方の知った人、覚えていない、(小野光衛門)小野光衛門さんは庄屋さん、師匠。易学、易学の本をお供えした人がありますよね。何とか太夫と言いました。その大変な有名なその易学をされる方が金光大神のそういう事を言われるから、その沢山な書物を持って金光大神に談判にきておられるのです。ね。
その時に教祖様が仰っておられるのに、「この広い天地の中にね、指一本でも天地の親神様のね、ご恩徳に漏れるところはありません」という意味のことを仰っておられます。ね。もうそれこそその、易者の方がですね、それこそびっくり仰天されたんです。もう何と大変なことを言われる方であろうかと。それ以来、自分が沢山持ってきたその易学の本をですね、お供えして教祖の信心に入られたと事実が御伝記にも残っておりますし、またその時のお供えされたとういう易学の本がね、本部にございます。ね。
ですからこの、六十五節をね、六十五節を私共が頂きますところから金光教の信心がいかに正しくて高度のものであるかということ、いわゆる金光大神の御神格というものが、どれほど高いものであったかということをまあ、感じんわけにはまいりません。その過程においてはです、やはり金光大神にもそれがおありにあったという事。ね。
そこでですね、私共は、なるほどこう教えておられるから、これを信じてこうしておりますよ。ね。お道の信心をさせて頂くもので、日柄方位を見る人もないでしょうし、家を建てるのに方角を見てもらうような人もありませんでしょう。ね。それでやはりおかげを受けておりますけれどもですね、何かちょっと困ったことが起こってくるとです、そこをつかれるとはあ、これは日柄方位を見とりゃざったり、家を建てる時に方角が悪かったのじゃなかろうかという風に、人間とは弱いものですから、そう信じておりましてもね、ちょっと心にそういう風に響いてくるような感じがします。
★ここに、天赦日という、これは天が赦すと書いてあります。私は今日はここんところを頂きましたら、天許、地謝と頂きました。ね。天が許す。地は感謝の謝ですね。ですからね、天が赦すという事、神様が赦されるという事。家を建てますならば、もう使いかっての良い様に建ててもよいぞと、これは神様に許された姿です。
ね。そこでね、私は思うのですけれども、本当にねお互いの信心の焦点というのがね、もう本気で限りなく一つ美しい私にならせて頂こうという信心。ね。限りなく豊かに大きくならせて頂こうという信心。限りなく大きくなるとか限りなく美しくなるとか、限りなく大きく豊かになろうという事はね、まあ、どういう事かというと、一言で言うと、私は馬鹿と阿呆で道を開けといわれる芯から馬鹿と阿呆になることです。馬鹿と阿呆になると云うことはね、人が何というても触らんのですよ。引っかからんのですよ。馬鹿と阿呆になりますと。心がね、限りなく豊に美しゅう大きくなりますとね、例えばそこにね、どういう問題があってもそれが一つも心配にもならなければ引っかかりもしないのですよ。
だからお互いが馬鹿と阿呆になる稽古を本気でさせて頂いてです、ね、ちょっとした事で腹が立って、ちょっとした事がひっかっかってたまらん。どうもその事が言われた事がやっぱり本当じゃなかったろうかとも、思うて引っかかって引っかかってたまらん。その引っかかることがねおかげが引っかかることになるのですから。ね。本気で一つ私はね、馬鹿と阿呆にならせて頂いた者の姿の上に本当の天許というのがあると思うですね。
天が許す。許された姿なんです。馬鹿と阿呆の姿というのは。そこにね、いわゆる、真にありがたいというもの。これが、地謝ということ。地に謝すると言う事。地にひれ伏すと言う事にもなるでしょう。ね。だから真の信心というのはね、こういう天赦地謝の生活というかね、天赦地謝というような言葉が、字引をひいたっちゃありはしませんけれどもね、まあ、その字から私感じとらせて頂くのです。何のこだわりもなく、引っかかりもないという事。
昨日、昨日一昨日でした。飯塚から古賀先生がお礼に出て参りました。大祭にお参りが出来なかったというて、お礼に出てきたんです。それでその時、お届を一通り終わりましてから、すぐ帰らんならんと申します、あちらの御信者さんの自動車で来ておりましたから、それで私、応接間でお茶でも頂きながら、色々、信心話しをさせて頂いておる内に、大変なそのあのおかげを頂いてといったような意味の事を言うのです。というのは、「先生先日から」熊本の弘子さんの従兄弟になります。ここで、修行しよりました、娘さん、ここで、御本部にお参りになって、教師の資格を取って現在、熊本で教会を開きたいと言うておりますけれども、近所が、近所の教会が認めないという。それでも人が段々集まってきて、人が助かっておると。
それでその、皆さんもご承知のように弘子さんというのは高校時代から非常にこの、理解力も素晴らしかったですが、この霊能者なんですよね。いわゆる神様からいろんなお知らせを頂いたり、そういう事に非常にすぐれた一つの才能といったようものを、持っておりましたもんですけれどもね、最近はこの頃それに引っかかったのが松村さんですね。何十万もお供えせんならんとか、十回十日間にですかね、渡って御霊様のお祭りをしなければいかんとかいったような事を言っているわけなんです。古賀先生のところにも、手紙が来たわけですね、従兄弟になりますから。そして、言うておる事が「弘子から、手紙が来てこういう事を言うて来ました」と。「はあ聞いてみるとなるほどそうだと思うてこれが先生が言われる成り行きを大事にする事じゃろうと思うて、そうするようにしております」とこういうんです。どういう事かと言うた処がね、「あの人の本当の父親になる人の御霊様のお祭りを、この二十九日までにしなければね、母親が死ぬる」と言うてきた。「この二十九日までにその、そして、一万五千円の神様へのお供えをしろ」と。弘子が、ちょっと、あの、従兄弟ですからそう呼ぶんですよね。「弘子が本当にお徳を受けてから大変なことを教えてくれた。それをその、山口のおばさんである、永田先生までもはあ、そりゃあ弘子がそげんいいよるのならば、早よ一万五千円くらいのお供えをして、早よお祭りをせないかん」とこういうておられる。
それで、「自分はそれをするつもりでおります」と言うて、いかにもその、私の信心の成り行きを大事にするという事を実行しておりますと言う事を話すんですよ。私は聞きよってから、「あんた馬鹿じゃなかねと私は申しました」。それもですね、皆さんもご承知のように、古賀先生という奴は、奴は(笑)古賀先生という人はですよ、あのようにその、高橋正雄先生の家に被れるくらいに教学的な人なんです。だからね、どんなに素晴らしい教学を身に付けておっても、信心が一通り分かっておっても実際自分、また、母親が、この、この頃から具合がずっと悪いわけなんですよ。実際。ですからね、本当におかげ、従兄弟にそういう徳者が出来てから、ここで助けられるちいうごたる風に思ったらしいです。ね。私と繁雄さんとその、泉尾の信者と4人のところでそれを話すのですよ。ね。「それけんその飯塚の先生にそのことお届した」ち言うわけなんです。したら、「飯塚の先生も中々ね、お徳を受けたものが言うことは、私には右にしろ左にしろと言い切らん」と仰られたげな。飯塚の先生も。「それけん、そういう事しとる」とこういう。「だから私も右にしろ左にしろとはいわんけれどもね、ちょいと古賀先生考えてみてごらん」と言うてね、私が話させて頂いたのですよ。
例えばね、一万五千円をお供えする事によって人の運命が変わったりですよ、ね、お父さんの御霊様の霊祭をしたら、母親が死ぬるはずが、死なん済むおかげが頂くというようなもし信心であったら、金光様の信心は大した事じゃないよと。私は申した。ね。例えばなら、御霊様のお祭りさえすりゃ人間の運命が変わるとか、ね、一万五千円のお供えをすりゃ例えばね、その私は事実をね、色々、ここでもね、弘子さんがもうそれこそ、人にどん聞かせれる話しじゃない事をですね、平気で末永さん達に発表したんですよ。
「自分は神様からこういう事を頂いた」と言う事を。それはもう人権に関わることだったんですよ。だからね、いかに神様から頂いた、そういう事をどうして言うかと私が、したっちゃ神様から頂いたんで、私が頂いた事に間違いがないといったような事を言ってましたけれども、それが、間違うておる事実を私は初めて話しました。
けれどもね、なら、これがです、ここで一つ考えなければならない事はね、ひろこさんがでたらめを言うておるとは思われないと言う事なんですよ。ね。やはりそういうお知らせを受けるからこそ、やっぱり、言うておるわけですね。平気で例えばもう金光様の御信心はお供えとか寄進勧化をさせて氏子を痛めてはならんと仰っておられるのにです、松村さんの場合なんかは何十万という金のお供えをさせております。
自分のなら親戚のところであるところの、古賀先生の所には一万五千円のお供えをしろ、即刻、そして、父親の御霊様のお祭りをしろ、でないと、いう事も、言うですね。母親が死ぬると。二十九日までにせんと。だから、私ならね、例えば本当の正しい信心をさせて頂いて母親が死ぬるならそれは寿命だと私は思うて。ね。あんたの親一人子一人だから、本当に親のことを言われたら弱いけれどです、ね、正しいあんたが信心をさせて頂いて、そして、母親がその為に死んだというならね、私はそれが本望だと。また、あんた正しい信心をしてです、おかげで母も助かったという事になれば、あんたが今度布教に出た時のですね、いよいよ、あの、あんたが椛目でね、あんたの死ぬか生きるかと言うときに医者にかからんでおかげを受けるという事が取次ぎ者としての、元でが出来るんだというたようにです、こういう低迷、程度の低いことをですね、私は言われたけれども、私はあの時にこう正しい信心を歩かせて頂いてかくおかげを受けたという事になったらこれはあんたがいよいよお取次ぎさせて頂くようになってからの、元手になる事ばいというて、私は懇々とまあ、忙しい、早よ帰えらんならんと言いましたけれども、その事を説かせて頂いたら「親先生、今日はもう、合楽におかげを頂いてよかった」ち。「もうどうしてこんなことが分からなかったじゃだろうか」というて、自分も申しておりました。
ね。今合楽ではね、とにかく和賀心時代に突入。和賀心和賀心で明け暮れしておるような状態が今の合楽の信心なんだけれども、ね、私自身が本当に今日の言葉でいうならば、本気で馬鹿と阿呆になる稽古をさせて頂いて、天赦地謝のおかげを頂かせてもらう。本当に自分の心の中に自分で自分の心を拝みたいごたる有り難い私にならせて頂いて、尽きぬおかげを頂かれるというのならばですね、こんな理屈があろうがて。御霊様のお祭りをしたけん、母親が助かったとか、お金を一万五千円お供えしたけんで、運命が変わったとかという事は、もうそういう事で人間の運命が右左されるこだることであるならば、こんな事は苦労がなかじゃないのと私は申しました。ね。
もう御霊様もなからなければ何もない。ただ、いわゆる生仏様、いうなら私共自身が助かる事なんだと。大坪の家で私が実際助かったら、大坪の家の先祖代々の御霊様も絶対助かるのだと。ね。というて、弘子さんが言うておる事をね、私は嘘とは思わないて。でたらめを言うておるとは思わんけれども、教祖の信心を紐解いてごらんて。教祖の時代と言うて私はこの、ご本が出来ておりますね。教祖様のまたの、ご本が綺麗に出来て参りました。いわゆる金光大神がまたその、いわゆる、生神金光大神という御神格を受けられる前の話なんですね。御教えなんです。その中を開いてみるとそういう事はやっぱり沢山出ております。教祖の場合に。ね。そこで、弘子さんが言うておる事が、嘘とは思われない、でたらめとは思われないけれども私はここに弘子さんに忠告しなければならない事はね、あんたが信心をもう一段進めんとそういう事は言わんですむようになる。2段進めるとこういう広い世界がある事をね、古賀先生あんた、従兄弟として親戚として、本当に教えてやらないけんよと私は。
そういう事を言うておって近所の教会がなるほど認めるはずがないて。そういう、事実があるんですもん。私共何十年、随分霊徳にも触れてきましたけれどもですね、お供えしなければ助からんとか、御霊さんば( ? )言うた事がない。私共はそういうところをもう、修行時代に私共は突破しておったと思うのですけれどもね。私共も以前はいわゆる御霊様の色々なことは随分頂いてまいりました。けれどもね、私がおかげを頂けばそれも助かられる事の事実がこの頃はっきりしてきました。ね。そしてこの、今日の六十五節を頂かせて頂いてです、素晴らしいという事は教祖の信心の、御信心の程度がいかに、高度なものであったかという事なんです。ね。
それこそ、天地の中に指一本でも天地の親神様のお恵みを受けていないというところはない。そこに例えば方角良いの悪いのといったような事を言うことは天地に対してケチをつけるような事なんです。
と言う事をいうならば喝破された。悟られた。そして、ここに出ておりますように、「日柄方位というものは見るに及ばん。ね。普請作事は使い勝手の良いのが良い家相じゃ」といったような素晴らしい事になってきた。そこで私共はこれを信じるあたってです、はあ、金光様の御信心は楽じゃなあというてこれがなら、丸飲みこみで分かってもです、古賀先生のごたる、教学的で、金光様の先生の何年間の修行をさせて頂いたものがですよ、そう言われたら、いっぺんに、突つかれたら迷っておられるでしょうが。ね。
母親はこの二十九日までにしなかったら死ぬ。丸っきり踊る神様のごたる事を言うねと私は申しました。しかしそういう事を言えるという事はですね、勇気がなからなければ出来る事ではないですね。本当は。だからですねそういう事を言う、その霊能者はですね、もし死なんと自分の顔がたたんもんじゃけん本当に死ぬことを願うですよ。そういう念がありますよね。恐ろしいこと。ですからそれを跳ね返すという力がまた必要であること。それはまた、私は影ながらその事を願わせて頂いて、おりますけれどもです、そこに信心の非常にデリケートなその、目には見えない世界のね、一つのそういう統括といったようなものを感じます。ね。
けれどもね、正しい信心。正しい信心にはです、ちょうどねそれこそ、霜に熱湯をかけるごとしですよ。ね。どんなに雪が降とっても霜が降とってもです、太陽の光りにさんさんと輝きだされたらです、その場で溶けてしまうと言う事なんですよ。正しい信心とはそのように素晴らしい事なんです。ね。私は合楽ではその正しい信心をいわゆる真の信心を皆さんに聞いて頂いておるから、その正しい信心を本当にそうだと身につけられる為に「限りなく美しくならなければいかん、本気で和らぎ喜ぶ心の頂けれる私共にならなければならんと言う事なんです。ね。そこからね、私共の心の中から発散されるもの、いわゆる有り難いという心。その有り難いというその心を持ってです、どのような、例えば心を乱されるような事を迷わなければおられんようなことを見ても聞いてもです、それをその有り難いという心で溶かしてしまう事が出来る。
だから、古賀先生あんたもしっかり信心しなければいかんよて、その事の為にというて、まあ、返しました、し自分もまた、御理解を頂いてです、ね、自分の思いの間違っておった事をまあ感じたらしいんですけれども、古賀先生してそれだったんですからです、ね、あれだけ頭の信心と言われるぐらいま人です。理屈の上では十分に分かっておるはずの人がです、ね、一番五千円をお供えしようとおもいよった。御霊様のお祭りも弘子に仕えてもらおうと思いよった。とこういうわけなんです。ね。
お互いが正しい信心をさせて頂く、金光様の信心は正しいと威張っておっただけではいけん。問題はこちら自身が正しいしゅうならなければ正しい信心としての光を放つ事は出来ません。どんなに素晴らしかっても。私は金光様の御信心をしておるから立派な事はない。金光様の御信心をしておったっちゃ、( ? )おりゃ、ね、ずるい人もあるのです。ね。
ですから金光様の御信心によってです、その人の教祖様の教えによってです、私共の心中では限りなく美しくならせてもらう。本気でどのような事を聞いても見ても触らんですむほどしのです豊な大きないわゆる、馬鹿と阿呆の心のような状態のような状態を目指しての信心がいかに正しいことかと分かります。どんなに教えが正しかってもこちらの心が正しくなかったならば、それは正しくない信心を頂いておるのと同じ事。こっちが本当に正しくなる事に限りなく美しくならせて頂く事に精進し、焦点を置いて行くところからです、ね、いわば、古賀先生の例をとるならば、どのような事を聞いてもああ何と低級なことを言うておる事であろうかと弘子の信心が低級であるという証拠だと。嘘とは思われんけれども、これは、弘子の信心が一段、いっちょ進んで行くことを勧告しなければいけないなというようにですね、感じるでしょうけれども。
こちらの信心がくずぐずしておりますと、そんなことを言われたらもういっぺんに迷うてしまっておる。それにまいってしまっておる。ね。そういう事をですね受けつけんで済む、はねのけれるほどしの信心が正しい信心以外にありません。正しい信心を目指させてもらうところから、心に許されるもの、いわゆる天赦日、心に何の拘りも触りもない心が頂けれる。神様に許されての心なのです。そこに、信心ありがたし、神様ありがたし、神恩報謝の心、いわゆる地謝であります。地にひれ伏しての感謝の生活が出来る、そういう信心の理想とでも申しましょうかね、そういう正しい信心を目指してのおかげになってこなければならんと言う事ですよね。
どうぞ